サイズ 径 約 12cm 高さ 約 23cm 口径 約 5.5cm 箱 布タトウ箱 技 法 被せガラス・エッチング 注 意 充分注意して撮影等しておりますが、お使いのモニターによっては色が違って見える場合があります。
ガレは、植物をはじめ自然の産物をモチーフとして、それらを洗練された感性と、想像力でリリカルに表現しました。
「ナンシーに生まれた日本人」と評されるほど、ジャポニズム要素のある叙情豊かな型と文様を用いて、過去のガラス製品の概念を覆し、美的表現の手段として製造を行いました。
ガレによって、ガラスはただの工芸品から美術の領域にまで引き上げられたと言えます。
エミール・ガレ Emile Galle (1846−1904)フランス 1846年 フランス東部のナンシーに生まれる。
幼少のころから、ナンシー近郊の森や小丘を植物採集して歩き、植物の専門家となります。
植物に対して死ぬまで情熱を注ぐことになり、主要な題材となります。
1874年 父の経営する陶器、ガラス会社の芸術部門の責任者となった。
1877年 陶器、ガラス器、家具の製造販売を手掛ける父の会社を継承。
1878年 パリ万国博覧会に参加、陶器とガラス部門で銅賞を受賞。
1885年 農商務省官僚で美術に造詣の深い高島得三と交流を持ち、日本の文物や植物などの知識を得る。
1889年 パリ万国博覧会でガラス部門でグランプリを受賞。
1893年、ナンシーにガラス製作所を設立。
ここから幾多のガラス傑作作品が生まれます。
1900年 パリ万国博覧会に多数出品し絶賛される。
アール・ヌーヴォー・ナンシー派の指導者としても活躍し 手作りの良さを残した優美なガラス器の製造をした。
1889年 パリ万国博覧会に、300点のガラス器、200点の陶器、17点の家具を出品して絶賛を浴びた。
この事は、ガレをアール・ヌーヴォーの工芸作家としての名声を決定的なものにしました。
1904年 死去。
同時にガラス工芸を中心に展開を見せたアールヌーヴォーも終わりを告げました。
ガレ工房 第一工房期 (1874−1904) オリジナルと呼ばれることが多いですが、ガレ本人がすべての工程を手掛けた作品は確認できていません。
1904年に没するまでのガレ自身の役割は、器形の決定と、絵柄を紙の上にデッサンすることでした。
第二工房期 (1904−1914) ガレの死後、友人ヴィクトール・プルーヴェのマネジメントにより作品が制作されました。
ヴィクトール・プルーヴェは以前からガレのために下絵を描く仕事をしていたので、ガレの作風を比較的よく継承しているのが特徴といえます。
また山水風景文様などを新たに導入して、明るい印象の作品を世に送り出しました。
第三工房期 (1918−1931) ガレの娘婿のペルトリーゼのマネジメントによって、ガレ工房ではアールヌーヴォー様式の作品が作られていました。
しかし、アールヌーヴォーの流行が終わりアールデコ時代へ推移し、1931年工房は閉鎖売却されました。
有名な「スフレ技法」がこの時期に開発された技法です。
【被(き)せガラス】ガラス素地に異なった色のガラスを部分的あるいは全体にわたって被せかける技法。
【酸化腐食彫り(エッチング)】ガレ作品で多用される技法。
模様部分の皮膜をパラフィンなど保護膜で覆った後模様を描き、それをフッ化水素と硫酸の混合液で腐食させて模様を作る。
今回出品のガレ工房作「花瓶」は、当社が直接パリの専門業者より輸入したアンティーク商品です。
真贋を保障しての出品です。